震災三週間後の仙台東部

JR仙石線小鶴新田駅まで営業再開したので、仙台港付近を目指して歩いた。
ルートは以下のとおり。


(1)宮城野体育館付近

「表層地盤のゆれやすさマップ(宮城県)」*1によると、宮城野区は相対的に揺れやすいようで、僕の住む青葉区よりも建物や電柱や道路などの損傷が大きい。


(2)福田橋*2付近

ここから東へ行くほど、瓦が落ち屋根にブルーシートを被せている家が多く見られた。


(3)福田新橋*3付近


(4)高砂大橋*4付近河川敷

奥は七北田川河口。枯れた植物が同じ方向に倒れている。

アルバム。古い切手と写真が並んでいた。


比較的きれいな状態の車、しかし車内には泥水にまみれた痕跡が。


(5)公園

高砂中学校から200mほど河口側にあり、海岸線からは直線距離で3km以上離れている。このあたりは倒壊した住宅こそ見られなかったが、床上まで浸水した家屋が多かったのだろうか、公園はごみ捨て場になっていた。


(6)高砂*5付近河川敷

高砂橋は七北田川において最も河口側にある橋であり、これを境に風景は一変する。


拡大


(7)


なぜかCDが散乱していた。


(8)

僕(176cm)の胸から肩ぐらいの高さまで津波の痕跡が残されていた。海岸線からの距離は約2.2km。


(9)


(10)

あたりにはキリンビール製品が多く散乱していた。


(11)


車が突っ込んだような跡が残る。津波の高さは、道路を基準にして3m弱。



(12)




(13)


(上)通って来た道を振り返った。未開封の飲料や洗剤などを拾っているひとが数人いた。この日、そのようなひとは数組いた。珍しくないのかもしれない。



左が海側。海岸線に植えられていた防潮林が、がれきに絡まっていた。


(14)




(15)

海岸線までの道のりはあと1.6kmはある。道路上はだいぶ片付けられていた。




(下)奥に流されず残った防潮林が見える。


(16)

海岸線までは1.3kmほどであるが、津波の高さは4m以上あったものと思われる。
これを撮っている頃、僕のいた場所から30mほどのところで、警察官や自衛隊員など7、8人が集まりだした。ブルーシートと毛布を敷き、黒い塊を載せて包んでいた。*6
このあたりの風景はやけに開けていたが、その理由を帰宅後、震災前のGoogle Map(航空写真)を見て知った。


(17)


(18)


(19)


この建物(体育館)は2階の窓がすべて割れていた。



蒲生干潟方面を見やる。河北新報「野鳥の楽園、見る影なく 一帯に砂、復元不能か 蒲生干潟という記事があった。



道路をまっすぐ進んだ先にある浜(20)には立ち入れなかった。*7一年前、津波関係の講義の一環で波高を測りにいった場所である。ので、目の前に見える海を撮った。


写真は3月30日に撮ったもの。31日にGoogleが被災地の震災後の航空写真を公開した。僕が歩いた距離はたいしたものではないが、津波の溯上長さは、実感として、地図上の距離よりもはるかに長かった。

「変死体」と自殺の関係について

もう2週間も前のことですが、今年の上半期の自殺者数が警察庁によって発表されました。
自殺者、半期で1万7千人超…最悪ペース迫る : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ふだんなら記事の内容以上のことを感じることもないのですが、そのブコメにどうにも看過できないものがありました。(強調は引用者)

b:id:umeten 社会, 日本的なるもの, 自殺問題, アウトサイダー問題, 格差問題, 差別問題, 警察問題, 疑惑問題 10年来の統計のトリック乙。変死者を含めれば、日本の自殺者は毎年10万人越えてる。参考>http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20090725http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20090717#1247763834

またこれ以前にも、公式に発表される自殺者数について疑念を呈しているエントリがすくなからず見受けられました。(たとえば、A Tree at Ease 本当の自殺者数は?--死後も数あわせの浮かばれない国 負け組Blog/ウェブリブログ
乱暴に要約すれば、「変死者数は平成9年に9万人であったのに平成15年には15万人と増加している。しかし自殺者数にはここ数年目立った増減はない。またWHOによれば変死の半数は自殺らしい。すなわち、公式の自殺者数には実態が反映されていない!」ということになるでしょうか。
たいへんわかりやすく、また受け取りようによっては陰謀論にもなりうる主張です。(日本の自殺者数が急増して3万人台になったのは平成10年からなので、おそまつな主張でもあるのですが)
犯罪統計を集計しているブログをやっている手前、実際のところはどうなのか気になって仕方ないので、調べてみることにしました。*1
とはいえ僕は法学部生でも医学部生でもないので、内容に誤りがある可能性があります。id:ueyamakzkさんが継続して調べておられるので、そちらも参考にしてください。*2
異状死・自殺統計に関する疑問 - Freezing Point
変死体 と 異状死体 メモ - Freezing Point


以下では「異状死体」「変死体」の定義、「変死の半数を自殺」とするWHO報告、変死体数増加の原因について検討してみました。

異状死体について

法医学を扱っている本では、以下のように書かれていました。

「異状死体」とは「明らかな病死・自然死で死亡した死体以外の全ての死体」を示すと解されている。すなわち、明らかな外因死だけでなく外因死か病死・自然死か不明の死体も広く含まれている。

『学生のための法医学』南山堂、6版1刷

「異状死体とは、確実に臨床診断が下されている内因性疾患で死亡したことが明確である死体以外のすべての死体」

『現代の法医学』金原出版、3版増補10刷

異状死体:死因が外因か、あるいは外因に関係する疑いのある場合、また外因死か不明な場合、さらに、病死とみられても死因が不明な場合、医療を受けずに死亡した場合、死因がわかっても初診の患者が急死した場合、初診時すでに死亡している場合などの死体の総称であり、変死体の概念を含む

『臨床法医学テキスト』中外医学社、初版1刷

医師法第21条は「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない。」と規定しています(異状死体等の届出義務)。ところが、この「異状」について特に規定がなかったため、具体的になにを「異状」とするかに争いがあり、日本法医学会が1994年に「異状死ガイドライン」*3を発表するに至りました。しかし日本外科医学会等から疑義や批判が出され、また日本法医学会がそれらの批判に答えるかたちで見解を出すなど、未だその取り扱いには争いがあるようです。*4
id:ueyamakzkさんが書いておられるように、ここでは異状死体が「医師が経過を把握していなかったケース全てであり、非常に幅広い概念」だということを頭に入れておけば十分だと思います。加えて異状死体とされる対象は長いスパンで見れば一定ではなく、広がりうるということにも注意が必要です。

変死体について

「変死体」とは、刑事訴訟法第229条第1項や検視規則第1条でいう「変死者又は変死の疑いのある死体」を指しますが、これではなんら具体的ではありません。
さきほど挙げた法医学書によると

変死体は異状死体の一部であって、狭義には犯罪死体か非犯罪死体かが判断できない死体、広義には犯罪死体と犯罪死体か非犯罪死体かが判断できない死体の両者を併せたものをいう。

『現代の法医学』

変死体:広義的には病死か外因死か判然としない死体の総称で、狭義的には外因死のうち犯罪死体とも非犯罪死体とも判断することのできない死体をいう

『臨床法医学テキスト』

とされています。すなわち変死体は、「犯罪死体」(死亡が犯罪によるものであることが明らかな死体)と「非犯罪死体」(死亡が犯罪によらないことが客観的に明らかな死体)の中間にあるということができます。つまり、自殺者の死体は、変死体にも非犯罪死体にもなりうるわけです。
実際の警察実務での「犯罪死体」の取り扱いについては、

「犯罪死体」の場合は、すでに「犯罪の嫌疑」があるので、「検視」は不要ということになり、すぐに「捜査」を開始すればよいのだが、警察実務では、念には念を入れて、「変死体扱い」として、「刑事調査官」による「代行検視」がなされることが、多いようである。

『死体検案ハンドブック』金芳堂、改訂2版1刷

という記述もあるので、異状死体は実務上「非犯罪死体」と「それ以外」とに分類されてもいると捉えておいたほうがよいかもしれません。

「変死の半分は自殺」とするWHO報告について

総務省「自殺予防に関する調査結果報告書」(2005年)(PDF)の図表3−(1)−2(p.104)で、2004年の「自殺予防デー」におけるWHOの資料を引用しています。(強調は引用者、アンダーラインや(以下略)は原文ママ

○ 「自殺は巨大であるが予防できる公衆衛生の問題である」とWHOは述べています。(9月10日 世界自殺予防デー)
変死の原因の約半分は自殺であり、また自殺により毎年約100 万人が死亡しているだけでなく、自殺による経済的損失は数十億ドルとなっているように、自殺は巨大な問題ですが、しかし、大部分は予防できる公衆衛生の問題でもあります、と世界保健機関(WHO)は述べています。2020 年には自殺による死亡者が150 万人に上昇する可能性があると推計されています。自殺予防に関する世界的な行動を求め、人々の関心を集めるために、昨年の初回の成功に続き、世界自殺予防デー、WHOと国際自殺防止協会(IASP)が共同して、9月10日に開催します。
(以下略)

では実際はどうなのか?原文を参照してみると、以下のように書かれていました。(強調は引用者)

8 SEPTEMBER 2004 | GENEVA -- Suicide is a huge but largely preventable public health problem, causing almost half of all violent deaths and resulting in almost one million fatalities every year, as well as economic costs in the billions of dollars, says the World Health Organization (WHO). Estimates suggest fatalities could rise to 1.5 million by 2020. Following its successful launch last year, World Suicide Prevention Day, a collaboration between WHO and the International Association for Suicide Prevention (IASP), will be held on 10 September to focus attention and call for global action.

「Suicide huge but preventable public health problem, says WHO」World Suicide Prevention Day - 10 September

「自殺予防に関する調査結果報告書」では、「violent death」が「変死」と訳されたということになります。「violent death」はこちらによると

  • An event that causes someone to die
  • An event effected by force or injury rather than natural causes
  • A killing

とされていますが*5、これが刑事訴訟法第229条第1項や検視規則第1条でいう「変死者又は変死の疑いのある死体」であるところの「変死」とどれだけ一致するのかは定かではありません。またどのような根拠で「変死の原因の約半分は自殺」としているのかはわかりませんでした(しかし興味ぶかいことなので、継続して調べてみます)。WHOのいう「変死」の対象がはっきりしない限り、「変死の半分を加えれば、日本の自殺者数は10万人を超える」とはいえないと思います。*6

変死体数増加のカラク

「変死体数が変動している」「増加している」といわれることもありますが、実際のところどうなのかは警察庁等による(いま現在おそらく公表されていない)統計を参照するほかないので、確かなことはわかりませんでした。
以下には仮定がおおく含まれていることにご注意願います。


「昭和49年版警察白書」(第4章 犯罪情勢と捜査活動)によれば、昭和44〜48年における変死体数の推移は以下のようになっています。


「図4-50 変死体の死因別構成比(昭和48年)」の(注)より、ここでの「変死」には「非犯罪死体」が含まれているらしいことがわかります。
昭和48年の「刑法犯による死者数」*7「自殺者数」を、「変死体数×犯罪死の比率」「変死体数×自殺の比率」と比較してみると、以下のようになりました。なお、自殺者数の統計には警察庁によるもの(「総人口」が対象で在日外国人を含む)と厚生労働省によるもの(「国内の日本人」が対象)があり、「総人口」を対象とした警察庁統計には昭和53年以降のものしかないので、ここでいう昭和48年の自殺者数は正確には「国内の日本人の自殺者数」です。

刑法犯による死者数 国内の日本人の自殺者数
3459 18859
変死体数×犯罪死の比率 変死体数×自殺の比率
3481 19604

警察庁統計と厚生統計は、その対象のほか統計に計上するタイミングも異なるのですが(参考:自殺者数の推移(1899年〜))、ほぼ警察庁統計の自殺者数が厚生統計の自殺者数を上回るものとしてよいので、対象が日本人に限らない「変死体数×自殺の比率」が「国内の日本人の自殺者数」を上回るのは自然だと考えられます。なにより、「変死体」を検視/検案*8司法解剖行政解剖した結果「自殺」と判断されたものの数が全体の自殺者数*9と近くなっているということは、「昭和49年版警察白書」でいう「変死体」は、「犯罪死体」「非犯罪死体」の中間を指すものというより、当時の基準としての異状死体として扱われていると考える余地があるのではないでしょうか。
また「変死体数×犯罪死の比率」が「刑法犯による死者数」を上回っていますが、「刑法犯による死者数」の場合、死者が罪名別に計上されている(暫定的であれ何罪による死者かが判明している)のにたいし、「変死体数×犯罪死の比率」の場合、おそらくは「変死体」を検視/検案/司法解剖行政解剖した結果「犯罪死」と判断された時点での計上となっているので、これは統計に計上するタイミングの違いによる差とも考えられます。


山田正彦氏によれば「変死者数が平成9年に9万人いたのが、平成15年に15万人になって」おり*10、柳澤光美氏によれば異状死体数は「平成20年には16万1838体」*11であるとされています。
まず、ここでいう「変死者」「異状死体」がいったい何を指しているのかがはっきりしていないことに注意しなければなりません。前述した定義*12に基づいているとは限らないのです。よって、昭和48年の「変死体数」*13との単純な比較は難しいのではないでしょうか。


というわけで、以下ではどう運用されているのかはっきりしない「変死体」ではなく、医師法第21条でいう「異状死体」の増加について考察してみます。
23区内のすべての異状死体を検案の対象としている東京都監察医務院は、現段階ではもっとも高い精度で死因の特定ができている機関だとみなせます。そこで東京都監察医務院の「平成20年版統計表及び統計図表」より「死因の種類別の割合及び主要因」を参照してみると

とあり、平成19年の自殺者数は全異状死体数の15.7%を占めているに過ぎないことがわかります。平成14〜18年においても15〜18%ほどであり、ここ6年間の平均は16.5%でした。
仮に、全国の全異状死体に占める自殺者数の割合が東京都23区の全異状死体に占める自殺者数の割合(の平成14〜19年の平均値=16.5%)に等しいとすると、平成14〜19年の「全国の自殺者数」の平均値は32782.5であるので
  32782.5÷16.5%≒198682
となり、山田正彦氏の「変死者数」や柳澤光美氏の「異状死体数」を上回ることになってしまいます。そこで柳澤光美氏のいう「異状死体数」は医師法第21条に係わる異状死体だとして、異状死体の数を16万体とすると、全国の全異状死体に占める自殺者数の割合は
  32782.5÷160000≒20.5%
となって、異状死体5体につき1体が「自殺」と判断されている、ということになります。
実際には東京都監察医務院における死因特定の精度が全国的に達成できているとは考えにくく、また自殺率*14の地域差も考慮すれば、当然に都道府県ごとに「全異状死体に占める自殺者数の割合」は上下するでしょうが、もし警察が相当数の自殺者を見逃して死因を自殺以外のものと計上していたらこの割合は下がるわけですから、(平成10年以来3万人台が続いている*15はずの)公式発表の自殺者数が現在の数よりもすくなくなってしまいます。つまり、「真」の自殺者数が公式発表の自殺者数よりも無視できないていどにおおいのだとしたら、全異状死体に占める「真」の自殺者数の割合は20.5%よりも無視できないていどにおおきくなくてはならないのです。しかし現時点でもっとも正確に死因が特定されている(はずの)東京都23区での割合が16.5%だということは、いくら都道府県ごとに死亡率*16や自殺率が異なるといっても、全異状死体に占める自殺者数の割合が都道府県によっては30%になったり40%になったりするとは考えにくいため、自殺以外の死因にされている自殺者はそこまでおおくないのでは、と思います。
次に同じく「平成20年版統計表及び統計図表」より「最近5年間の検案数及び解剖数」を参照してみると

「検案のうち65歳以上の数・割合」がともに増加傾向にあるのがわかります。いくら警察でも死者の死亡時の年齢まで操作することなどできませんから、全国の全異状死体においても同様の傾向があるのだとすれば、異状死体の増加は高齢化によるものという見方ができるのではないでしょうか。
実は山田正彦氏が「変死者数」を調べたのも、高齢者の孤独死が増えているのではないか、という意識があってのことなのでした。(強調は引用者)

私、早速、警視庁の変死者数の統計を調べてみました。変死者数が平成9年に9万人いたのが、平成15年に15万人になっています。交通事故とか射殺事件で亡くなった人は年間1万4,000〜1万5,000人で変わりません。自殺も3万人前後で変わりません。となると、その残りが孤独死だと言えるのではないか。そして考えると、なんと6万人が平成19年度1年間で、さらに平成20年度はもっと多かったかもしれない。それくらいの人が今そうして亡くなっていっているという現実、これが一番大変なことだなと僕は思っております。

「医療崩壊危機打開のための民主党・医療改革プラン」山田正彦氏の活動報告)]

この見解の妥当性はさておき、異状死体のうち犯罪によらないことが明白なもの*17を除いたものが「変死体」と運用されているのだとすれば、高齢者の孤独死の一部も「変死体」に入りうるわけですから、これが「変死体の増加」の要因となっていると考えることはそこまで不自然なことではないかなと思います。




以上、「変死体」と自殺の関係というよりは異状死体についての言及になってしまいました。もちろん僕は、自殺以外の死因にされた自殺者が存在しないということを主張したいわけではありません。調べていて、日本の死因特定制度が未確立であることは痛感しました。
「自殺者数の実態」なる主張がなされる背景には、この死因特定制度未確立という事実と、警察への不信があるのは間違いないでしょう。さらにはWHOという権威も加わり、「もしそうであるなら日本の自殺者数は10万人を超える」という事態の重大さ、突拍子のなさとがあいまって、まことしやかに語られるに至ったのだと思われます。これは「自殺コピペ」が根拠の不確実さを抱えつつも広まっていった経緯を考えれば、わかりやすいのではないでしょうか。(参考:http://d.hatena.ne.jp/TOkimeki_TOnight/20090630/1246366185
islecapeさんの検証エントリ(「韓国が在韓の定住日本人に対して行っている制度」について軽く調べてみた - そこにいるか)を見ても、一見して「そんなわけないだろ」といいたくなるようなコピペや主張が広がってしまう要因には、「ある対象への不信や悪感情」と「主張内容の重大さ、突拍子のなさ」があるのだと感じました。
とはいえ、まだまだわからないこともいっぱいあるので、継続して調べていきたいと思います。

追記

b:id:Ez-style お疲れ様/e-statにあるH19の人口動態調査をみると、病院・診療所以外で死んだ人が全体で約16万人なんで、たぶんほぼ全部、とりあえず異常死体とカウントしたんじゃないかな。

ブクマコメントありがとうございます!平成19年の人口動態統計(年報)の「死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移」を見てみると、確かに「自宅+その他」の数は平成12、16〜19年のものならおよそ16万人となっていますね。しかしそれ以前は死亡者総数がいまより3割ほどもすくないのに、自宅での死亡者はいまの3倍も4倍もいたということが読み取れます。「病院・診療所以外で死んだ人」をすべて「異状死体とカウントし」ているとすると、昭和の時代の「異状死体」の数はいまの何倍もないとおかしいということになりませんか。当然、「異状」とされる対象が相当拡大した(つまり、当時は「異状」の対象が比較的限定されていた)とすれば話は別ですが、そこまではちょっとわかりませんでした。
というわけで、このエントリでは「病院・診療所以外で死んだ人」をすべて「異状死体とカウントし」ているという解釈は採用しませんでした。


(2010.10.14 リンク切れなど修正)

*1:ただし表題にあるとおり、あくまで『「変死体」と自殺の関係』という視点に限定しました

*2:ただし後述するように、「変死体」は広義では「犯罪死体」も含むうるので、『殺害されていることが明らかな死体は、「犯罪死体」であって、「変死体」ではありません』と断定できないと思います

*3:リンク先は札幌医科大学

*4:参考:「報告 異状死等について―日本学術会議の見解と提言―」(PDF)

*5:手持ちの辞書やネットの辞書で調べてみると、主に「変死」≒「a violent [an unnatural, an accidental] death」≒「変死、横死、非業の死」となっていました

*6:というか前述のとおり、いったん「変死体」とされた死体のなかにも最終的に「自殺」に計上されるものがあるので、変死の半分を加えてしまうと数が重複してしまうのですが

*7:「刑法犯による死者数」は警察庁によるもので、交通関係の業務上過失致死による死者を含まない

*8:検死(医師が法医学的知識に基づいて、死体を外観から検査すること)して得られた医学的所見に加え、警察の捜査資料や周囲の状況を考慮して、死因、死亡時刻などの死体状況や、解剖の要・不要などについて判断あるいは示唆すること

*9:「全国の自殺者」「国内の日本人の自殺者」問わず

*10:「医療崩壊危機打開のための民主党・医療改革プラン」山田正彦氏の活動報告)

*11:「2009年3月24日(火) 内閣委員会議事録(抜粋)」(PDF)

*12:異状死体:明らかな病死・自然死で死亡した死体以外の全ての死体、変死体:(広義)犯罪死体と犯罪死体か非犯罪死体かが判断できない死体の両者を併せたもの

*13:≒異状死体数?

*14:自殺者数を人口で除したもの

*15:厳密にいうと、「国内の日本人」を対象とする厚生統計の自殺者数は平成13、14、18年で3万人を下回っています

*16:死亡数を人口で除したもの

*17:=「非犯罪死体」

「交通事故死亡者数」における警察庁統計と厚生統計の違いについて


前のエントリで「交通事故死者数30000人時代」てなことを書きましたが、これは完全な勘違いでした - The cape of an island


こんにちは!
瑣末なことですが、すこしだけ。



平成20年版犯罪白書より)


「交通事故の死亡者数」の統計は、警察庁によるもの*1厚生労働省によるもの(人口動態統計)*2があります。
警察庁は「死亡者」(交通事故によって、発生から24時間以内に死亡した者)と「30日以内死亡者」(交通事故によって、発生から30日以内に死亡した者)とをそれぞれ集計しています。新聞やテレビで言及されるときの「交通事故死亡者数」は、一般的に前者の「事故後24時間以内の死亡者」であることがおおいです。
厚生労働省は「人口動態統計」で年間の死亡者を死因別に分類していますが、「交通事故による死亡者」(当該年に死亡した者のうち、原死因が交通事故によるもの(交通事故後1年を超えて死亡した者及び後遺症により死亡した者を除く))が死因のひとつとして集計されています。
注意しなければならないのは、警察庁のものは「総人口」が対象で在日外国人も含みますが、厚生労働省の「人口動態統計」(の「年報」)は「日本における日本人」が対象*3になっていることです。


結局、日本国内で発生した交通事故による総死亡者がわかる統計って存在しないんですよねぇ。

足利事件当時の新聞報道

足利事件」を伝える当時の読売新聞の記事*1の一部です。
地裁・高裁の判決文(e-politics - 刑法・刑事政策/足利冤罪事件)と合わせれば、事件の流れの概要がつかめるのではと思います。
なお、被害者とその遺族の名前は伏せました。

1991年12月1日 読売東京 朝刊 一面 14版 1頁


幼女殺害 容疑者浮かぶ足利
45歳の元運転手 DNA鑑定で一致


 栃木県足利市渡良瀬川河原で昨年五月、同市内のパチンコ店員Mさんの長女M・Mちゃん(当時四歳)が他殺体で見つかった事件を調べている足利署の捜査本部は、三十日までに、容疑者として同市内の元運転手(四五)を割り出した。一両日中にもこの男性に任意同行を求め、殺人、死体遺棄の疑いで事情を聴取、容疑が固まり次第逮捕する。M・Mちゃんの衣類に付着していた男の体液のDNA(デオキシリボ核酸)と元運転手のものが一致したことが決め手となった。同市とその周辺では、昭和五十四年から六十二年にかけ幼女三人が他殺体で見つかる事件が起きており、捜査本部は関連に強い関心を抱いている。


周辺に類似殺人3件
 M・Mちゃんは昨年五月十二日午後六時半過ぎ、父親に連れられ遊びに来ていた同市伊勢南町のパチンコ店「ロッキー」で行方不明となり、翌十三日午前、パチンコ店から南へ約五百メートル離れた渡良瀬川左岸のアシ原で死体で見つかった。死因はケイ部圧迫による窒息死で、絞殺されたと見られている。
 現場付近は当時、車や人通りが多かったにもかかわらず、有力な目撃情報はなく、捜査は長期化した。捜査本部は、市内全域でローラー作戦を展開するなどして不審者や変質者の洗い出しを続け、昨年秋ごろこの男性が浮上、慎重に周辺捜査を進めていた。
 捜査本部は、現場近くで見つかったM・Mちゃんの衣類に付いていた体液と、内偵中に入手した元運転手の毛髪を警察庁科学警察研究所に送り、血液鑑定とDNA鑑定をした結果、「ほぼ同一人物の遺伝子。他人である確率は千人に一人」との結果を得た。血液型も一致した。
 さらに、捜査本部は、これまでの調べで、男性が<1>少女を扱ったビデオソフトや雑誌を愛好している<2>Mちゃんが失踪したパチンコ店に度々きていたが、事件後、姿を見せなくなった<3>事件当日の夕方以降の足取りが不明――などをつかんでいる。
 足利市と、県境を隔てた群馬県尾島町では、ほかにも三件の未解決事件が起きている。
 昭和五十四年八月、足利市内の会社員Fさんの長女F・Mちゃん(当時五歳)が、近くの神社の境内に遊びに行ったまま行方不明となり、六日後、約二キロ離れた渡良瀬川河川敷で、リュックサックに詰め込まれた絞殺死体で見つかった。
 また、五十九年十一月には同市内の工員Hさんの長女H・Yちゃん(当時五歳)が、両親と遊びにきたパチンコ店から姿を消し、一年四か月後、自宅から一・七キロ離れた畑で、白骨死体で発見された。死因は窒息死。
 六十二年九月には、同市から約十五キロ離れた尾島町の会社員Oさんの二女O・Tちゃん(当時八歳)が、自宅を出たまま消息を絶ち、翌年十一月、自宅から約二キロ離れた利根川河川敷で白骨体で見つかった。死人は特定されていないが、他殺と見られる。


DNA鑑定
 細胞核内の染色体に含まれるDNAには、遺伝情報が四種類の塩基の配列順序として記録されている。この配列順序は個人によって異なるため、体液や血痕、毛髪など犯行現場に残された資料のDNAを分析すると個人を三百六十五通りに分類でき、血液鑑定と併用すれば百万人中の一人を特定できる。今回は、M・Mちゃんの衣類に付いていた体液が微量だったため、「千人に一人」の精度にとどまった。警察庁は今後一、二年で全国の捜査に本格導入する計画だ。昨年二月に東京都足立区で発生した主婦のバラバラ殺人事件では、容疑者の車に残されていた血痕がDNA鑑定で被害者のものと判明し逮捕の決め手となった。

1991年12月2日 読売東京 朝刊 社会 14版 31頁


"ミクロの捜査"1年半幼女殺害、容疑者逮捕
一筋の毛髪決め手 菅家容疑者ロリコン趣味の45歳


 容疑者に導いたのは一筋の毛髪――栃木県足利市の幼女殺害事件で二日未明、同市内の元運転手、菅家利和容疑者(四五)が殺人、死体遺棄の疑いで足利署に逮捕されたが、延べ四万人の捜査員を動員したローラー作戦とともに"DNA検査"が、四千人に及ぶ変質者リストからの容疑者割り出しにつながった。週末の「隠れ家」でロリコン趣味にひたる地味な男。その反面、保育園のスクールバス運転手を今春まで務めるなど、"幼女の敵"は大胆にもすぐそばに潜んでいた。


 事件発生から四か月が過ぎた昨年秋、ついに菅家容疑者が浮かんだ。ピーク時は四千人に達した変質者リストを基に、一人一人のアリバイをつぶすという途方も無い作業だった。捜査本部は、この後一年を超える内偵で、菅家容疑者の毛髪を入手。M・Mちゃんの遺体などに残された体液とDNA鑑定を依頼、先月下旬、ついに「他人である確率は千人に一人で、ほぼ同一人物と断定できる」との鑑定報告を手に入れた。
 M・Mちゃんが失踪したのは昨年五月十二日午後六時半。この約十六時間後に遺体を発見、比較的新しい状態でM・Mちゃんの遺体から犯人の体液を採取したことが、結果的にDNA鑑定の成功に結びついた。
 事件発生から約一年七か月。動員された捜査員は一日平均百人、延べ四万人を超えていた。
私がやりました
 「私がやりました……」
 菅家容疑者は、絞り出すような声でMちゃん殺しを自供した。午前中、取調官が事件に触れると、「容疑者に間違いない」と取調官は感じた。
 だが、菅家容疑者が事件について語り始めたのは夜十時近くになってから。取調べは一日朝から十四時間にも及び、事件発生から一年半にわたる捜査がようやく実を結んだ瞬間だった。
無言のMさん夫婦
 昨年十月、千葉県船橋市内のビルに引っ越してきたM・Mちゃんの両親のMさん夫婦は二日午前一時ごろ、自宅に戻り、無言のまま室内に入った。
 同じビルの商店主は「Mさんとはほとんど接触はなかった。引っ越してきたとき、夫婦二人だけなのに子供用の自転車があり、どうしたのかなと思っていた。そんな大きな事件に逢っていたとは」と話していた。


"週末の隠れ家"借りる
 菅家容疑者は、昭和三十七年地元の中学校を卒業後、職を転々としたが、五十六年六月から今年四月までは、同市何の保育園と幼稚園計二か所で、スクールバスの運転手をしていた。
 このうち、今週までの約一年間は、五十九年十一月にパチンコ店から行方不明となり、その後白骨体で見つかったH・Yちゃん(当時五歳)が通っていた幼稚園に勤めていた。
 五十六年から約八年間働いていた保育園の園長は「朝夕二回の運転のほか、休職の準備や草むしりなどもしてもらっていた。仕事ぶりはまじめで、園児たちともごく自然に接していたが、仕事以外の趣味などは分からなかった」と話している。
 二十代半ばに結婚したがすぐに離婚。同市家富町の実家で両親や妹と暮らしているが、十数年前「週末をゆっくり過ごすため」と、M・Mちゃんの遺体発見現場から南へ約二キロはなれた同市福居町に、六畳と四畳半二間の木造平屋一戸建てを借りた。この「週末の隠れ家」には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、菅家容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい。
 実家近くの主婦(五二)によると「もの静かでいつもうつむいて歩いていた。地味な人という印象だった」という。事件後しばらくして実家に県警の刑事が聞き込みに訪れた際は、特に変わった様子も無く、普通に受け答えしていたという。

1992年2月14日 読売東京 朝刊 解説 13版 15頁


「F・Mちゃん」「H・Yちゃん」自供したが…
物証無く起訴は困難


 栃木県足利市のM・Mちゃん(当時四歳)殺害事件で、元保育園運転手・菅家和利被告(四五)は、十三日の初公判で起訴事実を認めた。しかし、犯行を自供したとされる他の二つの事件の立件は難しそうだ。
 宇都宮支局 清水純一


 菅家被告がMちゃん殺害事件以外に自供したのは、同じ足利市内で昭和五十四年に起きたF・Mちゃん(当時五歳)と五十九年のH・Yちゃん(同)殺害事件。
 足利署の捜査本部によると、菅家被告は二人の当時の服装などについてもほぼ正確に記憶、H・Yちゃんの遺体を包んだリュックサックについても「市内のごみ置き場で拾った」などと詳しく供述したという。
 このため捜査本部は昨年暮れ、菅家被告をH・Yちゃん殺害容疑で再逮捕した。しかし、事件発生から十二年余り経過していることもあって、供述を裏付ける物証が発見できず、宇都宮地検は先月十五日、「証拠不十分」として起訴を見送り、捜査本部に継続捜査を指示した。
 H・Yちゃん殺害容疑についても、捜査本部は菅家被告を任意で取り調べ、今月十日に書類送検した。だが、物証は全くない状態で、F・Mちゃん事件以上に立件には困難が伴い、処分保留となる公算が大きい。
 刑事訴訟法三一九条は<自白の証拠能力>について、「自白が事故に不利益な唯一の証拠である場合には有罪とされない」と規定。自白をもとに検察側が有罪判決を得ようとすれば、その信用性を高める「補強証拠」が不可欠となる。
 起訴されたMちゃん事件では、遺体に付着していた男性の体液と菅家被告のDNA(デオキシリボ核酸)が極めて高い確度で一致するとの遺伝子鑑定が出た。検察側にとって公判を維持するうえで唯一最大のよりどころとなる。しかし、二事件に関しては、これに相当するものが見当たらない。
 宇都宮地検の矢野光邦次席検事は、M・Mちゃん事件で処分保留にした際、「全国で再審無罪が続いており、十年や二十年かかる公判にも耐えられる証拠がなければ起訴は困難」と説明した。
 最高裁によると、戦後の殺人、強盗殺人事件の再審で無罪となったのは十一件。東京高裁が昨年四月に言い渡した千葉県松戸市の「OL殺人無罪判決」、死刑囚で四人目の再審無罪となった平成元年一月の「島田事件」などで、判決は捜査当局の自白偏重を厳しく批判した。
 刑事司法の健全さを示すバロメーターといわれる一審判決での無罪率は、昭和六十二、三年には過去最低の〇・〇九%にまで下がっていたのが、平成元年は〇・十七%と急上昇する傾向を示している。
 被告の自白しかない両事件で、地検が慎重姿勢を見せる背景には、こうした司法をめぐる情勢がある。
 弁護士経験のある立命館大井戸田侃教授(刑訴法)は、「犯罪が古くて形がい化している場合などには、どうしても供述があいまいになって信頼性、正確性を欠き、訴訟不能に陥るケースがある」といい、今回の地検の判断を妥当と見る。
 北海道大の能勢弘之教授(同)も「容疑者が当局に容疑をかけられたまま放置されても、それは法理論上、仕方がない。法治国家としてはむしろ自然だ」と語り、処分保留の措置もやむを得ないとしている。
 二事件が"灰色決着"に終わりそうな気配に、県警や被害者の遺族には虚脱感が漂っている。十数年間にわたって幼女殺害事件の陰におびえた足利市民からも「自供しているのに、なぜ……」という素朴な疑問の声が聞かれる。
 だが、捜査当局の証拠価値への過信などによって数々の冤(えん)罪事件が生まれたことを思えば、証拠不十分のまま強引に起訴することは厳に慎まなければならない。


個人的には、全般的に断定的な筆致であること、菅家さんが借りていたという木造平屋一戸建てを「週末の隠れ家」と断じているところ、幼女殺害事件の犯人であるに違いないと印象付ける、しかも伝聞調の情報(『この「週末の隠れ家」には、少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、菅家容疑者の少女趣味を満たすアジトとなったらしい。』*2)を載せていることなどが特にひどいなと感じました。
最近の重大事件でもそうですが、被疑者の「自供」があれば報道機関も安心して「犯人視報道」ができる、ということでしょうか。

*1:「新聞から見た現代社会論」(読売特別講義)という一般教養の講義にて、講師の読売新聞記者から配布されたもの(コピー)

*2:高裁判決文では「被告人が持っていたポルノ類の中には、性的に未成熟な子供を取り扱った、いわゆるロリコンものはなかった」と否定されている

2009.5.27


殺人の認知件数・検挙人員の推移(1926年〜)において、平成20年(2008年)の欄を追加し、グラフを更新した。


更新



更新



殺人、強盗致死(強盗殺人)、傷害致死の認知件数の推移(1927年〜)において、平成20年(2008年)の欄を追加し、グラフを更新した。


更新



暴力団構成員等による殺人の検挙件数・検挙人員の推移(1995年〜)において、平成20年(2008年)の欄を追加し、グラフを更新した。


更新



強姦、強盗強姦の認知件数・検挙人員の推移(1933年〜)において、平成20年(2008年)の欄を追加し、グラフを更新した。


更新



更新



更新



更新