「『死刑について。』について」について

「死刑について。」について - 黒く濁った泥水を啜る蜥蜴
「死刑を廃止すれば私刑は増える」という主張が与太話に過ぎない、というのは同意です。死刑の廃止は刑罰の廃止ではないのだし、「(死刑が廃止された場合)殺人事件の被害者遺族なら私刑を選択して当然」という単純なものの見方は、私刑を選択しない被害者遺族を外部に追いやってしまうわけで。事実いま現在でも(すくなくとも2chmixiあたりでは)厳罰化反対ないし死刑反対の(殺人事件の)被害者遺族なんて異端視されていますからね。無視といってもいい。

 いやそれ以前に、日本でも殺人を犯せば死刑になるというわけではありません。
 2007年の殺人認知件数は1199件(検挙率は96.5%)。それに対して同年の死刑確定数は23件。逮捕から判決が下されるまでに数年かかりますが、2007年の殺人認知件数は戦後最低、死刑確定数はここ40年で最高(1970年から2003年まではほぼ一桁)であることを考えれば、殺人事件に対する死刑判決の割合は本来よりもずっと高くなります。それでも2%ほどです。
 つまり自分の家族が殺されても、死刑によって遺族の応報感情が満たされることの方がずっと少ないわけです。
 では応報感情の満たされなかった彼らは、高い確率で私刑をおこなっているのでしょうか?そのような話は聞いたことがありません。加害者が刑務所にいるから物理的におこなえないというのはあるでしょうが(無期懲役になれば30年は出てこれないのですし)、しかしそれだけではないでしょう。加害者を憎んでいても私刑を思いとどまらせる何かがあるはずです。「死刑を廃止したら私刑が増える」というのは被害者遺族の心情を単純化して見る態度でなければ言えないのではないかと感じます。

そのような(「私刑が増える」などと主張する)ひとたちが見落としていることのひとつが、上記で述べられていることだと思います。日本における死刑は主に殺人罪と強盗殺人罪・強盗致死罪によるものですが、いくら近年は死刑判決が増加傾向であるといっても、殺人罪や強盗殺人罪・強盗致死罪で起訴されたもののうち最終的に死刑が確定する案件がどれだけすくないか、すなわちどれだけ死刑判決は慎重に下さざるを得ないか、ということは、すくなくとも日本の死刑を語るうえで大切なことなのではないでしょうか。
 
さて瑣末なことですが、日本の殺人事件認知件数には強盗殺人・強盗致死の認知件数は含まれていません。殺人事件認知件数における「殺人事件」とは、計上のうえでは「刑法第二十六章 殺人の罪」で規定されているもの(殺人罪、自殺関与・同意殺人罪およびそれらの未遂と殺人予備罪)を指し、強盗殺人・強盗致死は「強盗」のカテゴリーにて別計上されているからです*1。また、左上画像(出典:平成9年版犯罪白書)を見れば明らかなように(これは確定数ではありませんが)、かつて日本の死刑はそのおおくが強盗殺人罪・強盗致死罪によるものでした。最近の傾向としては(第一審では)殺人罪による死刑判決数が強盗殺人罪・強盗致死罪によるそれを上回っているようですが(右上画像、出典:平成19年版犯罪白書)、それでも(ここ20年間で)認知件数が1300件ていどの殺人(ただし既遂は600件ほど)とおおくて100件ていどの強盗殺人・強盗致死(同じく70件ほど)では、占める死刑確定者の割合は圧倒的に後者のほうがおおい。殺人事件認知件数が減少していても強盗殺人・強盗致死が増加していれば、世の厳罰化要求に裁判所が応えなくとも死刑判決が増える可能性はあります。
それを踏まえて、新死刑確定数と強盗殺人・強盗致死検挙人員の推移(昭和22年〜平成18年)のグラフを作成してみました(数値は各犯罪白書による)。

検挙、起訴から死刑確定までタイムラグがあるのはいうまでもないことですが、それなりに相関*2はしているようです。それにしてもあまり意味のあるグラフではないけれど。


(2008.12.22 3枚目の画像が表示されていなかったので、あらためて同じ画像をアップした)

*1:平成18年の犯罪(総括)http://www.npa.go.jp/toukei/keiji24/pdf_file/H18_02.pdf

*2:相関係数も出さないでこんなことをいってはいけない